初めての投稿に何を綴ればよいかわからないままキーボードを叩く。
約6年間の公務員生活も残り1週間に近づいているが、4月からの働き口はまだ決まっていない。
そんな雪のちらつく3月の末、これまでの公務員生活のことを振り返ってみる。
簡単に振り返る公務員生活
波乱の中で幕開けた公務員生活
公務員生活は波乱の中で幕を開けた。
大学を卒業し入社した先で思いもよらぬ研修が始まり、一気に追い込まれた精神が悲鳴をあげて父親に連れて帰られた実家。
まだ心が落ち着いていない中で社会から置いていかれないよう応募したのが、地元の役場が募集した臨時職員の採用だった。
所属したのは商工観光を担当する部署で、地域振興のための金券の換金業務をルーティンにしながら、月に数回ベントのスタッフとして駆り出された。
その後、特に何かをやりたいという意思のないまま正規職員の採用試験に合格して、同じ課の隣の係に配属された。
正規の職員になったところで心の具合はさほど変わらなかったけど、補助金の支払いなんかの細かい事務を担当して平穏な一年を過ごした。
2年目になると統計調査の担当を持たされて、町の国勢調査を主担当として進めた。
今では統計調査が比較的判断のいらない若手でも進めやすい業務だったと腑に落ちているけど、当時は60人を超える調査員さんを取りまとめるその業務に怖気付いてしまい、調査の始まる1ヶ月前にしんどくなってしまったことを覚えている。
思い出してみるとこの年はコロナ禍で副業に興味を持ち、公務員の副業をテーマにしたTwitterとブログを始めて、広告をつけた収益化こそしなかったけれど、精神的に忙しい日々を過ごしていたような気がする。
本職として挑戦した情報発信のお仕事
3年目からは広報の担当を任せてもらい、広報紙の制作やSNSの運用、そしてプロモーションの取り組みとして地域メディアの立ち上げに携わった。
広報の担当として3ヶ月を送る中で、個人の発信を諦めても本職で情報発信の仕事ができるから力はつけられると思い、前年に始めたブログとTwitterはやめ、プライベートの時間も含めて職務に専念することにした。
1年間ブログを運営した経験は広報業務に大いに活き、情報発信のクオリティアップに力を注ぐことができた。
本当はデザインの能力がつけばよかったと思うけど、一番身についたのはコンテンツを媒体の垣根を越えて管理するディレクションの能力だと感じている。
そこからの3年は、町の広報担当として休日返上で足を動かす日々を送った。
自分ひとりの力ではないにせよ、主導で成し遂げたいくつかをここに振り返る。
- 広報紙の紙面フルリニューアルし、併せて原稿データを内製化した
- ウェブサイトの新システム導入した
- 地域メディアの立ち上げた
- 地域の新聞に関わった記事が毎月4件程度掲載してもらえた
力およばず成し遂げられなかったDX
そしてもうひとつ精力的に取り組んだのが、業務改善とDXだった。
我が地元は山間の田舎町で、かなり保守的と言われる県民性が色濃く現れてることを大学から帰った数年で強く感じていた。
職場となる町役場でもその傾向は変わらず、というつもりだったけど、意外と柔軟な思考の持ち主がそれなりにいて、尊敬する上司も何人もある。
だが、人がよくても組織が変われないのが業務改善の難しさだとこの3年間でまざまざと感じさせられた。
全長的に導入されて使い倒したけど引き継ごうと思ったらツールの説明もしなくては行けなかったlogoチャットやlogoフォーム、自治体用の試験運用プランを使わせてもらえたけど実用ベースまで至らなかったkintone、個人的なタスク管理を行ったnotion。
いろいろと個人的には使い倒したし、上司の理解もあって局地的に試験運用することができたものはいくつかあったけれど、実用的なレベルまでブラッシュアップできた仕組みはほとんどなかった。
最後に
来週末で最後の出勤になると思っていたけど、2日に引き継ぎをしに出ていかなくては行けないことが決まっている。
来年度からは大阪での生活が始まることが決まっているけど、地元での活動も少しと言わずありそうな予感もある。
数年間はフリーランスとしての活動に挑戦しようと思っている。
ちょっとどころではない不安を胸に、ここに雑記ブログを立ち上げます。
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